"数学教育を想う" ― テクノロジー活用の意義 −

                                          根岸 秀孝
T3 Japan 第6回年会 (8/24,25/2002)  於 筑波大付属駒場高校  発表原稿  

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 他国で起きている数学教育の改革を概観し、わが国の実状をみてみると、T^3に参加されるような改革に熱心な先生方と、変化への挑戦に関心を示さない先生方の間には大いなるギャップが存在する。この現況において、再度、テクノロジー活用の意義を明らかにし、また、教科「情報」に関連して、数学教育における情報化についても考察する。



1.他国でのテクノロジー活用の概括
  米国で15年ほど前、オハイオ州立大の数学科Bert Waits, Frank Demana両教授のもと、教師研究グループにより、「全ての生徒の手元にコンピュータ・パワーを」との想いで授業の改革が始動した。当初、Math Grapher というPC ソフトが使われた。しかしながら、将来を考えても普通教室でPCを生徒一人一人にという状況は現実的ではなく、物理的にも疑問をもった。そして、視覚化のパワーが生徒たちの数理理解に不可欠との考えのもと、グラフ電卓という簡便なコンピュータに着目した。そして現在、2000年の全国的調査によれば、80 %以上の高校数学の教師がグラフ電卓を利用している。大学数学の単位取得となるAP Calculus のクラスではほとんどの生徒がグラフ電卓活用の学習をしている。高校3年生の通常のクラスで、60%を超える生徒が自分のグラフ電卓を所有という調査もある。
 ここで、米国の多様性の広さに目を向ける必要がある。「米国では・・・である」と一言で括った言及はさけたい。生徒の学力レベルもさることながら、教師のレベルにおいても結構な多様性が存在する。このことをふまえて、最近米国でまとめられた調査研究論文を参照し、引用する。(注記1)
「グラフ電卓活用の授業はこれまでの教授法を変え、改革の可能性をもっているわけだが、現実的にはその活用範囲は様々である」

「数学をわりと狭く考え、数理を知り、問題解決から答えを得ることが学習とすれば、そうした範囲でテクノロジーを使っている。もし、数理の深い理解が大事で、数理概念の形成、その理解に基づき結論を導き出すことが大事だと考える教師は、そうした場面でテクノロジーを生徒に活用させている。同様に、探求活動を強調する考えがあれば、その活動の道具として活用する。すなわち、グラフ電卓が持つ広範な価値を必ずしも全ての教師がフル活用しているわけではない。ここに、教員研修の必要性が問われている。グラフ電卓の機能、用途性を理解することだけでは、グラフ電卓活用の価値、真の享受にはつながらない。どのような授業をねらっているのか、どのようなことを生徒たちに授けようとしているのかが問題になってくる。」

 現在、 NCTM(全米数学教師協会)のスタンダードでは6つのプリンシプルの一つにテクノロジー活用の必要性を説いている。中央政府行政としてカリキュラム設定のない米国では、各州、学校地区の教師研修をとおしてテクノロジー活用の授業改革が進展してきた。この原動力となっているがT^3Japanの母体である教師研修団体T^3 (Teachers Teaching with Technology)である。その年大会は2500人を超える規模の参加者で年々進展が続いている。代表的な教具−グラフ電卓はNSTA(全米科学教師協会)でも高く評価され、データ測定機器とともに、多くの理科授業に活用されている。
 一方、欧州の国々でもフランス、スカンジナビア3国、オーストリア、ポルトガル、イギリスでグラフ電卓活用の理数教育改革が進行している。メキシコ、プエルトリコでは教育庁の支援のもと、急激な進展がみられる。
 アジアの進捗では、既に実験授業の段階を終え、通常の教具として活用しているシンガポールが先行し、中国では文部省、大都市の教育委員会、師範大学を巻き込み、100を越すパイロット校が実践に入っている。さらにテクノロジー活用を前提とした教科書編纂が進んでいる。韓国では、一部の大学が中心となって、文部省、市教育局から指定されたパイロット校で実験授業が始まった。この両国に共通なのは、社会において数学教育が極めて重要視されていることである。どのように改革するかが明快で、そのための教師研修が盛んである。
 産業界でも話題になっているが、中国の進展は“ジャンプ”すると云われるように、暫時的改良ではなく、まさに革命というような勢いがある。
 韓国においては、プサン大学校師範大学から改革の準備が進んでいる。市教育庁、教師研修センターを巻き込んだ教師研修、パイロット校のプロジェクトがスタートした。この動きが、近隣の師範大学にも影響をおよぼし、幾つもの教師研修が起きている。2001年度で、プサン市を中心に約150名ほどの教師が研修を済ませ、本年度はさらなる研修が継続している。

 各国ともに改革の基本は、現実の事象を対象として、探求、活動的学習、考え方を重視する授業が望まれるという骨子が重要視されている。これまでの、講義、演習、その成果確認としてのテストという授業形式から脱皮して、教師主導の授業から、生徒主体の学習という変革が各国の目指すところとなっている。学習者のもっている潜在能力を如何に引き出すかが重要で、学習者同士の対話、気付きを大事にした授業が求められている。



2.優れた授業
 これまで、幾つかの“優れた授業”を、米国の、韓国の、日本の高校で参観してきた。PC、インターネット、グラフ電卓などを使っているわけではないこれまで通りの,板書、ノート、鉛筆による数学授業である。そこで気が付くことは、そうした情報機器を使わずして、立派に“情報化”した授業なのである。
では、その情報化とはいったい何であるのかを考えてみたい。
 優れた授業に共通して観察出来るいくつかの要点がある。先ず、生徒たち一人一人の立場、発想、発言を大事にし、それぞれに先生が反応し、また先生は他の生徒の反応を求めている。そして、そのとき、そのときに応じて、例えば、生徒の発言をクラス全員で共有する場を創出し、演出しているのである。さらに、その共有される内容から、他の生徒が発想できるような場を用意している。人の尻馬に乗る思考を促している。最初に自分で言い出すことを躊躇するような生徒を大事に扱うことになる。合っていようが、間違っていようがそれぞれの生徒に反応し、褒め、さらなる留意をガイドする。このことも含めて、クラス全体で、意見、視点の共有化をすすめている。授業のまとめとして、その時限内に出てきた幾つもの視点、理解、意見の関連付け、さらには既習の数理、理解をも引き出しながら、階層構築的な整理を促し、理解へのつながりをつけている。
 こうした優れた授業をする先生方がそろって言及することがある。「2度と同じ授業は出来ないですね」と。学習内容は同じでも、生徒たちは授業のながれのなかで違った反応をし、発信する。生徒の質問によって、そのときの授業の流れは変化する。このインタラクティブな進行が大事である。毎回同じ授業をしている先生は、むしろ、授業の主体性が教師側にあるのであろう。時間的にも、内容にしても計画した通りに進めることなる。授業の利益享受者であるはずの生徒たちの反応は疎かになりがちの授業になろう。
 では、上述の授業がなぜ優れているかである。それは“情報化”という仕組み、価値を巧みに活用しているからに他ならない。
 一般的に“情報化”とは?との問に筆者はこう応えている。情報化の3要素である。

    1.情報発信の最小単位は何か?
2.情報の同時共有化
3.多数の情報間の関連と階層構築

この3要素のそれぞれと、相互関係を最適化することを“情報化”とする。
 前述の優れた授業の観察点をもう一度みてみると、この3要素の括り方に見事に当てはまるようだ。強引な言い方をすれば、優れた授業=情報化された授業 なのである。

 教科「情報」を考えるとき、是非このことをふまえた教科と授業でありたい。PC 、インターネット、マルティメディアの存在とその使いこなし以前の問題である。



3.“情報化”する数学授業
 “クラスネット”という仕組みを使った授業の試みが最近米国で始まった。4,5人のグループに分かれた教室で、各グループの机には無線LANのハブが置かれる。このハブに各自のグラフ電卓を40cmほどのワイアでつなぐ。無線のハブをとおして教師のPCと各自のグラフ電卓がつながり、クラスネットが形成される。無線のネットである。授業のなかで、小テストを一斉に配信し、その正答率も瞬時にクラス全員で共有できる。教師としては、いつも発言のある生徒の学習進展状況はよく認知できる。しかし発言が少なく目立つ行動を避ける生徒もいる。その生徒のなかには、たいへんユニークな発想をする子もいる。このサイレントな発信が即、クラス全員の財産として共有できる。生徒各自のグラフ画面は先生のPCでモニター出来るのである。“情報の同時共有化”である。グラフ電卓というテクノロジーは立派な情報化ソリューションとなる。
 さらに、ビジネス用途に出回っているPDAと称する携帯情報機器利用の実験的授業が起きている。他教科にも使えるクラスネットの構築である。しかし、現場からは多くの改良の必要性が指摘されている。現行のPDA製品利用の解決策は成功しない、と筆者はみる。ではどうなるか? 機器、システム、ソフトの最適化、画面の大きさを考慮した教室用の新しい情報機器が望まれる。こうした次期の機器はさておいて、現在のグラフ電卓活用そのもので、その運用によっては、先述のように、情報化の授業は可能であり、グラフ電卓は、こうありたい授業の実践を可能にし、将来につながっている。
 
 先ずは、いわゆるIT機器といわれるものを使う前に“情報化”された授業が望まれる。



4.テクノロジー活用の意義
 テクノロジーの意義を論ずるとき、2つのテクノロジーを分けて考えたい。

    ・ 学習そのものを助けるテクノロジー
・ 授業運営を助けるテクノロジー

 グラフ電卓はまさに学習内容そのものを助ける道具である。数理理解に長けた生徒はより深い数学へと自らをひっぱっていく。一方、理解のレベルが低い生徒には、操作をしていく試行錯誤のなかで、画面に表れるグラフ、数式の観察をとおして、気付きが生まれ、理解に結びつく助けとなる。一人の生徒の画面を全員と共有する場合の機器、仕組みは授業運営を助けるテクノロジーである。前述のクラスネットはまさにこの恩恵といえる。
 いずれにしても、生徒のために授業をする教師側にとって、“どのような授業をしたいか”への明快な考えがあるとき、テクノロジーに限らず、あらゆるものが道具として活用できるということではないだろうか。道具である以上、それを利用することで、よりよい成果が生まれるという人間活動の根本に帰ることであろう。

 テクノロジー活用の価値と“数学嫌い”との関係も大事である。そもそも、学習が嫌いになるということは、何の教科であれ、学ぼうとしていることが“分からない”ことからくる。“取り付くしまがない”というか、どこからどう対処して良いか分からないことが重なると、次第に嫌いになっていく。例えば関数の学習で、ノートと鉛筆の学習とグラフ電卓利用の学習を考えてみる。経験のある先生方にはその差異は明白であろう。要は、小学算数では、具体物を操作することによって数理理解を助長してきた。中学・高校の数学では、こうした具体物を“いじる”機会が乏しいといえよう。グラフ電卓は“数理をいじる”格好の道具である。“見えた!”、“そういうことか!”との気付きは素晴らしい。感動ともなる。グラフ電卓で授業をしてきた生徒たちの感想文にそうした記述が多い。このことだけでも、テクノロジー活用の価値は高い。

 最後にもう一度、先述の調査論文から引用する。

「多くの調査レポートから云えるのは、グラフ電卓を十分に利用している生徒は、関数の理解、変数の理解、応用問題の代数解に関して、グラフ電卓を利用しない生徒に比べて,その成果が明白である。CAS(数式処理)機能のグラフ電卓を利用している生徒は、その経験がないものに比較して、微積分数理の応用が良く出来ている。紙のうえでの式展開の能力に関しては、グラフ電卓を利用する生徒、利用しない生徒の間に大きな差異は認められない。」

「テクノロジー活用の大いなる価値と可能性を考え、授業の改革を考えたとき、単にグラフ電卓の諸々の機能を既存の学習項目にあてはめて“どのように使ったらいいのか”ということではなく、新しい学習のあり方、再考される数学教育の目標、新しい可能性をもった道具活用の理解を深めたうえで、それに見合った教員研修(Professional Development)の必要性が重要である。この教員研修では、テクノロジー活用の価値への期待、それぞれが信じている考え方−数学とは、数学教育とは、授業とは、生徒の習性理解、等々に関して、お互いに議論をする機会を設ける必要がある。先行者の事例をもとに、こうである、こうしたほうが良いというように、単に情報伝達の場であってはその研修の役割は果たせない。生徒への一方的講義・演習と同じになってしまう。先述した機器が故の限度、精度、入力エラーの問題等の正しい理解、さらには、その限度が故の逆手の教授法的利用が肝要となる。(訳者注:例えば、グラフ電卓では画面のX・Y軸の範囲の設定は自動ではない。ある種のPCソフトウエアのように自動調整してしまうと、生徒たちの学習機会を奪ってしまうことになる。)教える側としては、そうした道具の事情、教育的内容をよく理解しておく必要がある。さらに、生徒たちの学習における心理的、行動的習性を掴んでいなければならない。」




優れた授業とは?
        “よく情報化” された授業とする。


テクノロジーという道具がこれを支えてくれる。



注記 1
Handheld Graphing Technology at the Secondary Mathematics; Research Findings and Implications for Classroom Practice -
Research Study by a group of Michigan State University
Gail Burrill (Director), Jacques Allison, Glenda Breaux, Signe Kastberg, Keith Leatham, Wendy Sanchez -- May / 2002
 (米国におけるグラフ電卓活用に関する調査研究の概括) 
 この論文はこれまでに米国で発表された約180の調査研究論文のなかから、下記にリストされた設問への示唆、回答となりうるもの43論文を選択し、その精読をとおして、現在、数学教育界で話題となっている Handheld Graphing Technology (グラフ電卓等携帯サイズのテクノロジー)活用教育が、中高生の数学学習において、いかなる意義、効用が認められるかを概括するものである。
 1) Teacher knowledge and beliefs about handheld graphing technology
 2) Nature of student use of the technology
 3) Relationship of the technology to student achievement
 4) Gains made by students using the technology
 5) Influence of technology on diverse student populations

(2002年8月 根岸秀孝)

 

     



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