"数学教育を想う" ―
テクノロジー活用の意義 − |
|||||
ページトップへ | 他国で起きている数学教育の改革を概観し、わが国の実状をみてみると、T^3に参加されるような改革に熱心な先生方と、変化への挑戦に関心を示さない先生方の間には大いなるギャップが存在する。この現況において、再度、テクノロジー活用の意義を明らかにし、また、教科「情報」に関連して、数学教育における情報化についても考察する。 1.他国でのテクノロジー活用の概括 米国で15年ほど前、オハイオ州立大の数学科Bert Waits, Frank Demana両教授のもと、教師研究グループにより、「全ての生徒の手元にコンピュータ・パワーを」との想いで授業の改革が始動した。当初、Math Grapher というPC ソフトが使われた。しかしながら、将来を考えても普通教室でPCを生徒一人一人にという状況は現実的ではなく、物理的にも疑問をもった。そして、視覚化のパワーが生徒たちの数理理解に不可欠との考えのもと、グラフ電卓という簡便なコンピュータに着目した。そして現在、2000年の全国的調査によれば、80 %以上の高校数学の教師がグラフ電卓を利用している。大学数学の単位取得となるAP Calculus のクラスではほとんどの生徒がグラフ電卓活用の学習をしている。高校3年生の通常のクラスで、60%を超える生徒が自分のグラフ電卓を所有という調査もある。 ここで、米国の多様性の広さに目を向ける必要がある。「米国では・・・である」と一言で括った言及はさけたい。生徒の学力レベルもさることながら、教師のレベルにおいても結構な多様性が存在する。このことをふまえて、最近米国でまとめられた調査研究論文を参照し、引用する。(注記1) 「グラフ電卓活用の授業はこれまでの教授法を変え、改革の可能性をもっているわけだが、現実的にはその活用範囲は様々である」 「数学をわりと狭く考え、数理を知り、問題解決から答えを得ることが学習とすれば、そうした範囲でテクノロジーを使っている。もし、数理の深い理解が大事で、数理概念の形成、その理解に基づき結論を導き出すことが大事だと考える教師は、そうした場面でテクノロジーを生徒に活用させている。同様に、探求活動を強調する考えがあれば、その活動の道具として活用する。すなわち、グラフ電卓が持つ広範な価値を必ずしも全ての教師がフル活用しているわけではない。ここに、教員研修の必要性が問われている。グラフ電卓の機能、用途性を理解することだけでは、グラフ電卓活用の価値、真の享受にはつながらない。どのような授業をねらっているのか、どのようなことを生徒たちに授けようとしているのかが問題になってくる。」 現在、 NCTM(全米数学教師協会)のスタンダードでは6つのプリンシプルの一つにテクノロジー活用の必要性を説いている。中央政府行政としてカリキュラム設定のない米国では、各州、学校地区の教師研修をとおしてテクノロジー活用の授業改革が進展してきた。この原動力となっているがT^3Japanの母体である教師研修団体T^3 (Teachers Teaching with Technology)である。その年大会は2500人を超える規模の参加者で年々進展が続いている。代表的な教具−グラフ電卓はNSTA(全米科学教師協会)でも高く評価され、データ測定機器とともに、多くの理科授業に活用されている。 一方、欧州の国々でもフランス、スカンジナビア3国、オーストリア、ポルトガル、イギリスでグラフ電卓活用の理数教育改革が進行している。メキシコ、プエルトリコでは教育庁の支援のもと、急激な進展がみられる。 アジアの進捗では、既に実験授業の段階を終え、通常の教具として活用しているシンガポールが先行し、中国では文部省、大都市の教育委員会、師範大学を巻き込み、100を越すパイロット校が実践に入っている。さらにテクノロジー活用を前提とした教科書編纂が進んでいる。韓国では、一部の大学が中心となって、文部省、市教育局から指定されたパイロット校で実験授業が始まった。この両国に共通なのは、社会において数学教育が極めて重要視されていることである。どのように改革するかが明快で、そのための教師研修が盛んである。 産業界でも話題になっているが、中国の進展は“ジャンプ”すると云われるように、暫時的改良ではなく、まさに革命というような勢いがある。 韓国においては、プサン大学校師範大学から改革の準備が進んでいる。市教育庁、教師研修センターを巻き込んだ教師研修、パイロット校のプロジェクトがスタートした。この動きが、近隣の師範大学にも影響をおよぼし、幾つもの教師研修が起きている。2001年度で、プサン市を中心に約150名ほどの教師が研修を済ませ、本年度はさらなる研修が継続している。 各国ともに改革の基本は、現実の事象を対象として、探求、活動的学習、考え方を重視する授業が望まれるという骨子が重要視されている。これまでの、講義、演習、その成果確認としてのテストという授業形式から脱皮して、教師主導の授業から、生徒主体の学習という変革が各国の目指すところとなっている。学習者のもっている潜在能力を如何に引き出すかが重要で、学習者同士の対話、気付きを大事にした授業が求められている。 2.優れた授業 これまで、幾つかの“優れた授業”を、米国の、韓国の、日本の高校で参観してきた。PC、インターネット、グラフ電卓などを使っているわけではないこれまで通りの,板書、ノート、鉛筆による数学授業である。そこで気が付くことは、そうした情報機器を使わずして、立派に“情報化”した授業なのである。 では、その情報化とはいったい何であるのかを考えてみたい。 優れた授業に共通して観察出来るいくつかの要点がある。先ず、生徒たち一人一人の立場、発想、発言を大事にし、それぞれに先生が反応し、また先生は他の生徒の反応を求めている。そして、そのとき、そのときに応じて、例えば、生徒の発言をクラス全員で共有する場を創出し、演出しているのである。さらに、その共有される内容から、他の生徒が発想できるような場を用意している。人の尻馬に乗る思考を促している。最初に自分で言い出すことを躊躇するような生徒を大事に扱うことになる。合っていようが、間違っていようがそれぞれの生徒に反応し、褒め、さらなる留意をガイドする。このことも含めて、クラス全体で、意見、視点の共有化をすすめている。授業のまとめとして、その時限内に出てきた幾つもの視点、理解、意見の関連付け、さらには既習の数理、理解をも引き出しながら、階層構築的な整理を促し、理解へのつながりをつけている。 こうした優れた授業をする先生方がそろって言及することがある。「2度と同じ授業は出来ないですね」と。学習内容は同じでも、生徒たちは授業のながれのなかで違った反応をし、発信する。生徒の質問によって、そのときの授業の流れは変化する。このインタラクティブな進行が大事である。毎回同じ授業をしている先生は、むしろ、授業の主体性が教師側にあるのであろう。時間的にも、内容にしても計画した通りに進めることなる。授業の利益享受者であるはずの生徒たちの反応は疎かになりがちの授業になろう。 では、上述の授業がなぜ優れているかである。それは“情報化”という仕組み、価値を巧みに活用しているからに他ならない。 一般的に“情報化”とは?との問に筆者はこう応えている。情報化の3要素である。
この3要素のそれぞれと、相互関係を最適化することを“情報化”とする。
グラフ電卓はまさに学習内容そのものを助ける道具である。数理理解に長けた生徒はより深い数学へと自らをひっぱっていく。一方、理解のレベルが低い生徒には、操作をしていく試行錯誤のなかで、画面に表れるグラフ、数式の観察をとおして、気付きが生まれ、理解に結びつく助けとなる。一人の生徒の画面を全員と共有する場合の機器、仕組みは授業運営を助けるテクノロジーである。前述のクラスネットはまさにこの恩恵といえる。 |
||||
(C) 2003 Negishi. All Rights Reserved.