「数学授業の情報化に関する一考察」 根岸 秀孝
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ページトップへ | 1.考察の概要 所謂 IT機器の活用が話題になり、 実験授業が起きている。はたして、現状の数学授業にこうしたテクノロジーの恩恵を十分に享受できる状況が整っているのだろうか。テクノロジーも道具の一つである。道具の活用の前に、授業そのもの、学習のあり方の再考が必要と考える。テクノロジー活用の意義・懸念について考察する。 2.一般論としての“情報化” 企業活動の改革としての情報化を概観すると、そこには、並々ならぬ試行錯誤と挑戦が起きている。存続をかけた競争社会で如何に生き抜き、他との優位性を創出するかが問われてきた。成功している企業活動に共通する必須の事項とは何なのか。幾つかの重要点を列記すると; ‐顧客の満足とは? その要望の明確化 ‐顧客要望に応えるための情報化 ‐重複、錯綜する多量の情報の整理・構築 ‐企業の使命とヴィジョンは? 要は、企業の存続意義の明確化、何をなすべきかの再構築が、成功の必須条件といえる。これらの再考察から、それぞれの業務プロセスを洗い出し、再定義する。そのプロセスの 最適実践のため、その道具として、いわゆるIT機器、システムを活用することになる。業務プロセスの再定義、最適化が不明解な状態にありながらIT機器導入−情報化に失敗する例は後を絶たない。 そこで、“情報化”成功の必須要件は何かという問に対して、筆者は次の三要素に整理して応えている。 1.情報“発信”の最小単位は何か 2.情報の同時共有化 3.多数の情報間の関連と階層構築 この三要素のそれぞれと、相互関係を最適化することを“情報化”とする。 3.授業における“情報化” 通常の授業‐黒板、ノートにペン、教科書という基本的な道具を使用する極普通の状態とする。これまでに米国、韓国、日本で幾つもの優れた数学の授業を参観した。所謂テクノロジー活用といえる道具は使わない授業である。そのなかで、印象的で、優れた授業と考えられる内容を、上記の情報化の3要素を踏まえた上で考察する。 1.情報“発信”の最小単位は何か クラスに生徒が30人いれば、少なくとも情報を発する可能性を持つ生徒一人一人が最小単位である。しかしながら、優れた先生に云わせると、その時の生徒の状態、関心の度合いは揺れ動き、一人の生徒でも情報発信の単位としては、必ずしも1ではなく、2−3となり得るという。先生の投げかける問いに対して、生徒がその反応を発信するわけであるが、一人の生徒が、前時限と今時限では違った情報発信元となり得るということになる。教師の生徒に対する感受性の高さが故である。そうした情報発信元を把握しながら授業が進む。生徒たち一人一人の存在、発想、発言を大切にし、それぞれの発信に対して、先生の反応、助言が行き交う。さらに、その発信に対して、他の生徒からの反応を喚起する。こうしたダイナミックな授業プロセスで、生徒たちの探求、考える機会、発表する機会を仕組む工夫がある。これに相反して、一方的な講義形態の授業も存在する。こちらの方が通常良く見かける授業かもしれない。この場合、情報の発信単位は、極端にはクラス全体ということになり、発信元は一つである。よく見かける授業進行であるが、講義、説明の合間に「わかりましたか?」の問いかけに、不確かな「わかります」の“うなずき”発信で授業は進んでしまう。分からない授業の始まりといえよう。 2.情報の同時共有化 一人の生徒の発信、それに反応する他の生徒の意見、ディスカッションはクラスの全員で、意見、視点、同意、不同意の共有化が起きる。共有を喚起するのは易しくない。いろいろな工夫が必要となるが、各生徒としては、その時限内で学習が“自分事”になる大事なプロセスである。同時共有は隣同士で、グループ単位で、クラス全体で、という具合にその時、その時の学習内容によって柔軟に考えられる。 3.多数の情報間の関連と階層構築 授業のまとめとして、その時限内に出てきた幾つもの視点、理解、意見を関連付け、さらには既習の数理、理解をも引き出しながら、階層構築的な整理をガイドして理解へと導いていく。こうした進展は、まさに授業論的には常識ではあろうが、現実的にはなかなか難しいようだ。むしろ、教師側の進行ペースが 主体となり、時間的にも内容的にも計画どおりに進めようということになる。 学習内容は同じでも、そのクラス、生徒の構成、個々人の発想は必ずしも同様ではない筈だ。生徒たちはその時々の授業の流れで違った反応をし、発信する。生徒の質問によって、その授業の流れは変化する。このインタラクティブな進行が大事である。こうした優れた授業をする先生がそろって言及することがある。「二度と同じ授業は出来ないですね」と。授業の利益享受者を第一義とした、生徒たちの反応、発信を大事にする授業、生徒主体の授業である。 まさに“優れた授業”=“情報化された授業”といえる。 4.教育の“情報化”への懸念 教育の情報化が盛んに議論され、各教室にPCを、プロジェクターを、インターネットを、マルティメディアを、と計画が起きている。しかしながら、こうした所謂ハード優先に陥る前に、一考の余地がある。上述のように、IT機器などは使わず展開される授業においても、学習の場における“情報化”が出来ているかどうかである。要は「どのような授業をするか」「現在の数学教育の抱えている問題は何なのか」、こうしたことを明らかにして、その具現化、実践にテクノロジーという道具か生きてくる。米国で浸透しているグラフ電卓の活用は、こうしたプロセスの帰結として起きている。数学教育改革へのヴィジョンと具体的改善案を先送りしてのIT機器、システム導入は如何なものか。さらに“与えすぎ”、“親切過剰“とも云えるコンピュータ・ソフト、マルチメディア教材は問題がある。学習者が考え、自ら探る機会を奪ってしまうことになる。学習者自身が主体的に“作っていく態度”を育む教育が望まれる。自分で探り、考える体験のなかに関心が育まれる。IT機器なしでも“情報化”された授業が望まれる。先ずは“数学嫌い”の生徒の減少が当面の課題であろう。本論の冒頭に記したように、教育とって、「その“顧客”は?」との問に応える授業でありたい。 (HN 11/23/2002) |
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