米国Intel社の社会貢献 - 教師研修プログラムの紹介と

"情報化時代の授業改革"について


根岸 秀孝
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 米国Intel社が進めている社会貢献活動のひとつに情報化時代の授業改革を狙った教師研修プログラムがある。内容は、学習者の能動的、活動的授業参加を促す授業設計、課題設定、生徒たちに学習の動機付けをどのように仕組んだら良いか、それを達成するために、如何にテクノロジー(コンピュータ,インターネット等)を活用していくかという研修コースである。すなわち、知識伝達型から思考支援型の授業プラン作成を狙っている。こうした趣旨のもと、わが国でも各地の教育委員会に呼びかけ、36時間のコース、380頁のテキストブックを利用しての教師研修を開催し、教育社会へ貢献している。

 Intel社が用意している研修カリキュラムは、本来、文科省が教科「情報」、「総合学習」を設定したときに充分な準備と研修プログラムを用意すべきだった内容そのものといえる。すなわち、インターネットにつながるコンピュータというテクノロジーがいかに授業を、学習を変えていくかという観点である。知識習得の受動的学習から、知識、情報を能動的に取得し、数多ある情報要素をいかに整理し組み上げていくか、いかに探求的な思考を進めるか、そういう学習の可能性をテクノロジーという道具が広げていく。そして、各教科とも、他教科との領域に、また実社会との係わりで横断的に学習する可能性と必要性が、生徒たちの学習関心を高めるうえで重要である。知識習得の学習が、知恵の習得、考える学習という変化である。こうした新しい、学習者の積極的参加を促す授業が求められていた。もちろん、総合学習が始まる前に所謂'できる'先生たちは、その教科を軸に他教科の知恵・知識にかかわった総合学習的授業を実践していた。

 文部省と権威ある教育者の人たちは、"新しい学習"の答えの一つとして、教科「情報」と「総合学習」を設定したわけである。そこには、大きな'落とし穴'が見うけられる。 
 これまで、パソコンの学校導入以降、いろいろな試みが、いろいろな教科で 進められていた。暗中模索的な試みだったかもしれないが、それなりの経験となっていた。教科「情報」が始まって以来、多くの先生方から耳にするが、コンピュータ教室は情報科の付属設備となり、他教科の活用にブレーキとなっているようだ。"教育の情報化"とは各教科ともにこの新しい学習道具をいかに有効に活用していくかが重要であって、教科「情報」を履修することで"教育の情報化"が進むとしてはあまりにもその価値を矮小に捉えるように思えてならない。
 教科「情報」がややもすると、コンピュータの技術的理解、パソコンと主要ソフトの操作、ネット社会におけるモラルの認知、学習、探求の報告(プレゼンテーション)のスキル向上というようにスケールの小さなヴィジョンのもとに教科が構成されているというような見方もある。また、「総合学習」についても、各教科のなかで育まれてきたであろう他教科の領域につながる広い見方、多様な考え方、実社会、自然現象に深く係わる学習という本来の授業が起きていれば、あえて「総合学習」の教科で時間を割くこともないのではないだろうか。

 結論的にいえば、筆者の意見は、教科「情報」と「総合学習」の新設教科は不必要という立場である。これらの教科の目標・目的は各教科のなかで推進すべきという考え方である。

 Intel社の進める教師研修内容が、まさにわが国の教育行政において欠如していたとも言えそうな、それほどの価値があるようで、参加した先生たちは異口同音に「目から鱗がおちた」と語っている。

 筆者は、過去2度開催された「インテル教員支援フォーラム」に参加して、いくつもの実践報告を傾聴してきた。
 このプログラムは「Intel Teach to the Future」と呼ばれ、わが国では2001年3月に開始され、2004年までに25,000人の教員が受講した。世界的には2004年10月時点で、30ヵ国で180万人の教員がこのプログラムで研修を済ませている。このコースの特徴は;(Intel社発行のパンフレットから)
1. コンピュータ、インターネットを道具として活用
2. 実体験(講義主体ではなく、参加、実習型)を中心とした36時間のカリキュラム
3. あらゆる教科・学年に対応できる柔軟な構成
4. 教室に戻った日から活用できる教員主導型
となる。テキスト・ブックは14のモジュールで構成され、その内容は実に親切なものとなっている。
 コースは地域・学校のIT活用授業のリーダーを目指す教員を対象にしたりーダー研修と、その受講者を対象にしたブラシュアップ研修がある。リーダー受講者の責任として、学校内、地区内での教員への普及研修会が求められている。IT活用教育の研修に手をこまねいている教育センターにとってはたいへん有難い研修内容であろう。2005年から、Intel社は教員養成大学とも連携し、さらなる展開を計画している。教員養成大学では、当然こうした講座、実習が用意されているとは思うのであるが。
 本来、教育行政(教育委員会、教育センター)の責務といえる内容を一企業の社会貢献制度で補っている状況を知るにつけ、授業改革に対しての教育行政の貧困を思わざるをえない。「学力低下」の認知のなか、その対応に右往左往するであろう教育界で今後、真の改革がどのように進むのであろうか。憂慮される。 

 ひるがえって、数学教育のテクノロジー活用による思考支援型、探求活動型授業はどういう状況になっているのだろうか。数学教育界ではどのような解決策が実践されているのだろうか。わが国では、はなはだ寂しい状況にあると言えはしないか。
 各国の数学教育では、テクノロジー活用による探求活動型授業がたいへん身近な実践として広がっている。道具はなんともシンプルなグラフ電卓、数式処理電卓である。インターネットに繋がるPCを使うだけがテクノロジー活用とはいえない。ある目的に対して、それを達成できる道具が存在し、教員の知恵、努力とその道具の活用で素晴らしい価値のある授業設計が出来る筈だ。米国で始まったT^3 (Teachers Teaching with Technology) がいい例である。わが国でもその活動があ8年にわたり継続し、ここから生まれた研究会「TAMS」が高専の教員を中心に広がりつつある。行政主体で、テクノロジー活用の思考支援、探求活動型の授業改革の話はなかなか耳に入ってこないのは残念である。


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2005年1月 ねぎし ひでたか       「数学教育の会」於:学習院 提示原稿



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